ちょっと短縮版です。

 

ファシリテーショングラフィックの研修で二宮金次郎の話になることがあります。

昔の小学校の正門前あたりには銅像があったそうですね。今でも残っているところはあるのでしょうか?薪を背負いながら本を読んでいる勤勉な少年の図です。

 

「勤勉になろう!」という趣旨ではなく,「重いものを背負ってると集中できないからおろそう」という話なので,二宮金次郎(尊徳)を尊敬している人に怒られそう…。いや,私も尊敬しているのですが,あの銅像のイメージはわかりやすいので許して…。

 

ファシリテーショングラフィックの鍵となるイメージは「背負ってるものを下ろして眺める」です。

人は自然といろんな思いや悩み,タスクを背負い込んだまま,話し合いをします。重い荷物を持ったまま話し合いに集中するのは至難の業。背中のバックパックに詰め込んだいろんなものを一旦,下ろして机や地面の上に広げて,大事なものや必要なものを選びましょう,という作業がファシリテーショングラフィックです。

 

そういう意味で,脱線は歓迎だし当然。

議題に沿った内容でなくても,発言することでそれを「下ろす」ことになります。書いておくことで「眺める」ことができるようになります。あちこち発言が飛んでしまっても,板書することで気が済んだり,かえって新しい発見があったり,全体像が見えてきたりします。

 

もちろん,話し合いに無限の時間が使えるわけではないので,どのくらい長く時間をとるかは,終了時刻や出席者の体力との兼ね合い。それが難しい部分でもありますが,例えば「今日は7割は自由。まとめるのに3割の時間は残しておこう。」くらいのおおざっぱな予定を立てておけばやりやすいんじゃないかと思います。

 

むしろ,脱線せずに本題のまっ芯だけの(と感じられるような)発言だけでトントンと話し合いが進んだときは,あれ?大丈夫かな?と立ち止まるくらいの気の持ちようがちょうどいいように思います。

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