「都市はツリーではない」とクリストファー・アレグザンダーさんが言いました。1965年です。
この場合の「ツリー」は「木」ではなく「階層構造」の意味です。幹から太い枝に分かれて,その先に中くらいの枝が何本か出て,その先がさらに細い枝に分かれていくような関係性のこと。
図で表してみるとこんなイメージ。横から見たら樹形図,上から見たら線が交わらないベン図になります。

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身近なツリー(階層構造)と言えば,パソコンのフォルダとファイルの関係です。
「○○プロジェクト」のフォルダの中に,「打合せ」や「写真」などのサブフォルダがぶら下がって,それぞれのサブフォルダの中に複数のファイルやさらに下の階層のサブフォルダが収まっている様子。
階層構造とは,大項目-中項目-小項目のように枝分かれしながら整理・分類されている構造です。すっきりしてわかりやすいです。


冒頭の「都市はツリーではない」とのアレグザンダーさんの言葉は,都市はツリー構造(街は幹線道路で地区に分けられ,その中は道路で街区が区切られ,その中にいくつかの区画がある,など)で計画される。だけど,実際の都市,特に自然に大きくなった都市はそうじゃないだろ?ということです。
いろんな使われ方をする露地やどこまでが範囲か微妙な広場があったり,街区の境界があやふやだったりします。
およそ自然のものはきれいに階層構造に整理されることはなく,あいまいで重複があり,複雑な関係性を持っています。そんな様子をアレグザンダーさんは「ツリー構造」に対して「セミラチス構造」と呼びました。図で表してみるとこんなイメージ。

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パッと見でわかりにくいですね。
アレグザンダーさんは,人間の頭の働きそのものが落とし穴。複雑なものを考えやすいかたち(ツリー構造)に置き換えてしまう傾向があるのだ,と言っています。
私たちは身の回りのこと,目に見えるものをありのままで把握,理解することができないので,つい簡単にしてわかったつもりにしちゃいますよね。


会議でいろんな意見を「大項目」「中項目」「小項目」に分けたりするのはわかりやすい方法だし,「ロジカル」に見えます。しかし,私たちをとりまく世界はそんな単純なものではない,というのが悩ましいところ。分担や共同作業のために「ひとまずの共通認識として採用する」くらいの気持ちでいるのが良いと思っています。

ところで,実際のツリー(樹木)にしても,枝分かれしていった先で再び癒着結合すること(連理/れんり)があります。また,土の中で張り巡らされた根っこの先では菌根菌のネットワークが付近の樹木同士を網の目のようにつないでいて,栄養を融通しあっているということもわかってきました。

樹木も単独で生きているのではなくてお互いが絡み合って重複し,複雑な関係を作っています。
つまり「ツリーだってツリーじゃない」ということなんだなあ,と思います。

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