第31回 アート的感覚(2020年12月)

大学院生のころ、私は夜の森でコウモリの捕獲調査をしていました。特別な許可をとってコウモリの飛行ルートに網を張り、かかったコウモリを捕獲。種の同定、性判別、齢推定、各種計測をして、腕に標識をつけて、また放すというものです。


捕獲調査を重ねるうちに、不思議な感覚が身に付きました。
網にかかった瞬間、姿を見ずに種が推定できてしまう特殊能力です。
コウモリが網にかかっただけで「あ、ヤマコウモリきた」「お、コテングコウモリっぽいな」などと、わかってしまうのです。


要素としては、網の揺れ方、鳴き声、臭い、などのヒントがあり、それらを総合してピンとくるというわけです。
正確な種の同定には、前腕の長さ、耳や鼻の形など、細かいポイントで判断することが必要なわけですが、姿を見なくても想像がついてしまうというのは、なんとも不思議な感覚でした。もっと続けていれば、幼獣かどうかとか、性別までわかるようにまで……は、さすがにならないかなぁ。
ほかに何の役にも立たない感覚ではありますが……。

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こうした感覚って、論文に載ることはないけれど、野外で生物調査をしている人にはしばしば生まれる専門性だと思います。かたつむりにしても「あれ? この種がこんなところにいる?」とか、「○○マイマイにしては、質感が違う気がする」という曖昧な感覚も、そうした感覚的な専門性の一種でしょう。ちょっとした感覚的な違和感に、新しい発見が潜んでいるというのも事実です。
科学的事実の背景には、たいていそうしたふわっとした感覚があるものです。


こうした感覚的な専門性は、アート的感覚と言い換えても良いと思います。
そもそも"art"には、経験を通じて自分のものとした「わざ」という意味があります。その意味では、アート的感覚が培われるのは生物系の専門家に限ったことでもないでしょう。ほかの分野の学問、さらには子育て、音楽、家事、スポーツ、あらゆる職業、あるいは遊びや、日常生活にだって、それぞれのアート的感覚があります。


こうして広げて考えていくと、世の中の誰もがみんな、何らかのアーティストと言えそうです。
自分では当たり前の感覚と思っていることを、ほかの人から驚かれたことはありませんか。
それってきっと、アート的感覚です。