ここ最近、夕食のときに家族がそろうと「今日のありがとう」を伝え合うことにしています。
それは自己肯定にも他者肯定にもつながるなぁと思います。
特別なことをしたらもちろん、日常の当たり前になっているようなことや、好きでやっているようなことも、「ありがとう」と言われたり「ありがとう」と伝えてみたり……。
それは5歳の長男にとってもうれしい時間のようで、始めてみて良かったなぁと感じます。
1歳の次男はそもそも言葉が伝わらないですが、それでも間接的には意味がありそう。
たとえどんなに心の中で感謝していたとしても、言葉にしないと届きづらいことってあるものです。

さて、リモート勤務のデメリットもまた「言葉にしないと伝わらない」ところにあるような気がします。
たとえば、リモート会議中。画面の向こうで誰かがムスッとしていたとします。
こちらはついつい「なんで怒っているのかなぁ。何か悪いことしちゃったかなぁ」と考えてしまう場面です。
対面だったら、人は知らず知らずに文脈や環境情報をたくさん共有しています。
慌てて入ってきて席に着く様子があれば「急いで来て疲れているのかなぁ」と思うだろうし、部屋が暑いなら「この人も暑くて不快なんだろうな」とわかるだろうし、おなかを押さえていたら「おなかが痛いのかな」と気づくでしょう。
何にせよ、不快な表情が「自分のせいではないだろう」と想像しやすいです。
でも、オンラインだとそうはいきません。
共有している文脈や環境情報が乏しいので、知らず知らずになんでも「自分のせい?」と考えてしまいがちです。
そんなときは「なんでムスッとしているの?」と言葉にして質問しない限り、ただモヤモヤが募ってしまいます。
とは言え、相手にそんな直球の質問をするのも勇気が要ります。ともすれば神経を逆なでしそうだし、もし本当に自分のせいだったらと思うと冷や汗ものです。
だからと言って、自分がムスッとしている側だったとして、自分でそれに気づき、聞かれてもいないのに理由を自然に説明するのは、なかなかハードルが高いです。
オンライン会議に限らず、メールの文面がそっけないときなども、似たような問題が生じますね。
うーん、なかなか難しい問題です。

さて、この問題。家族の立場からも、同じ事が言えそうです。
メールはもちろん、オンライン勤務でヘッドセットをして話している状態であっても、そばにいる家族に伝わる大部分は、言葉以外の要素です。
難しい仕事で神経質になっていても、理由がわからないということになります。
ずっとそばにいる家族は、「自分のせいでイライラしてる?」って思うかもしれません。
だから、ことあるごとに「あなたのせいではないのだ」と伝えなくてはなりません。
パートナーにも、子どもにも、「ありがとう」や「ごめんね」を伝える時間を持っておくのは大事なこと。

かくいう私は、幼いころから口頭で「言葉にして伝える」ということが大の苦手です。
おっとりしていて、口数が少なく、あるいはそれ以上に場面緘黙だったり、少し吃音もあったからかもしれません。
いや、そうでなくても「言葉にして伝える」ということは誰にとっても難しいものですよね。
「言葉よりも大切なものがある」とは信じていますが、そうは言っても「言葉にしないと伝わらないものがある」と意識するのが大切なのかも。
さしあたり、意識的に「ありがとう」を伝える機会を作るのは1つの方法。
続けてみようと思います。