ヤマナメクジというナメクジをご存知ですか?
体長15〜20cmにもなる、茶色くて大きなナメクジです。福岡の住宅地では見かけませんが、山間部ではしばしば見かけます。

私は幼少期を大分県の竹田市、それも竹田市のさらに山手の荻町の奥地で過ごしました。そこでもっともなじみ深いナメクジが、ヤマナメクジでした。家の周辺でも見ましたし、きのこを好んで食べるので、栽培していたシイタケを収穫するときにも見かけました。

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一般に、ナメクジは塩をかけると「とける」と言われています。ナメクジを見つけて、実際に塩をかけたことがある人は多いでしょう。
やってみずにはいられないのが、子どもというもの。ご多分に漏れず、私たち兄弟も子ども時代にナメクジに塩をかけました。ただし、その相手は大きなヤマナメクジでした。
そのとき、ちっとも「とけた」という印象はありません。ただ、粘液を大量に出していたことは覚えています。実際、塩をかけても浸透圧の関係で細胞内の水分が体外に出てしまうだけで、「とける」わけではないのです。細胞が壊れてしまうので、水をかけても元には戻れず、死んでしまいます…。今から考えると、そのときのヤマナメクジは懸命に粘液で塩を洗い流していたのだろうなぁと思います。

……そんな黒歴史もあり、成長したヤマナメクジは大きく立派な風貌なので、今ではなんだか呼び捨てにすることさえおこがましく「ヤマナメクジ様」とあがめたくなります。

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一方、ヤマナメクジも幼い頃は見た目が違います。なんだか明太子のような姿。
糸島にある妻の畑には、このヤマナメクジのこどもがよくいます。実はこれがヤマナメクジのこどもだと知ったのは、つい数年前のこと。ナメクジの専門家の方に伺うまで知りませんでした。成長したヤマナメクジはよく見知っていたのに、こどもナメクジに見覚えがなかったのです。「ただのナメクジ」として、印象に残らなかったのかもしれません。一方、最近は畑でヤマナメクジのこどもをよく見るものの、畑でおとなのヤマナメクジを見ることはありません。


そのせいか、私はこれがヤマナメクジのこどもなのだということを知った今でも、なんだか腑に落ちていないようなところがあります。冒頭に「ヤマナメクジというナメクジをご存知ですか?」と書きましたが、この記事を読んで「ヤマナメクジを知っている」と言えるかどうかは微妙ですよね。自分で見たり、触れたり、やってみたり、実際に体験して初めて納得できることってたくさんあります。

そんなわけで、現在、このこどものヤマナメクジを飼育してみています。うっすらヤマナメクジっぽい模様が出てきて、今後の成長が楽しみです。

「かたつむりって、やっぱり減ってるんですか」よく聞かれることの1つです。
実際に「かたつむりを見なくなった」とおっしゃる方も少なくありません。

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大人は子どもに比べて目線が高かったり、自然に触れる機会が減る傾向にあるために、かたつむりを見なくなるという面があります。というのも、実際にはウスカワマイマイのように、都市部の花壇などの植え込みに、土に紛れて移動しながらあちこちで繁殖しているかたつむりもいるし、オオクビキレガイのように移入種として生息地を広げているかたつむりもいるからです。そんなわけで、一概に「かたつむりが減っている」とは言えません。

ただし、多くの種で、かたつむりが減少していることは事実でしょう。それは、生息環境、いわば「かたつむりの居場所」が、失われているからです。

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私の暮らすまちの周辺も、急速に土地開発が進んでいる印象です。8年前に暮らし始めた当初には残っていた草地や広場が、どんどん宅地や駐車場に置き換わっています。さみしく感じる一方、私が今住んでいる家だって、かつてはかたつむりが暮らしていた場所に建てられたのかもしれないと思うと、複雑な気持ちです。

以前はいつもかたつむりがいた場所でも、ある時からなぜか見なくなってしまったということがあります。それはもしかすると、殺虫剤や農薬によるものかもしれません。

人の暮らすまちでは、何でもない草地や何でもない林など、意味のあいまいな場は失われていくように思います。逆説的ですが、意味のあいまいな場にもちゃんと意味をつけていかないと、こうした流れには逆らえないのかもしれません。

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近所にある、舗装されていない、あじさいの植えられたこの細道が好きです。雨の日に歩くと、いつもかたつむりがいます。

私は遠回りしてここを通るのが好きです。かたつむりの居場所がなくなるということは、私の好きな場所も、なくなっていくということです。

ふだんは足の裏だけで、それもたいていは靴下や靴を通して、間接的に世界に触れている私たち。ヘビはウネウネ、ミミズは伸び縮みしながら、からだのところどころを地面にひっかけながら移動します。一方、かたつむりは、からだ全体をぺったりと地面にくっつけたまま。いったいどのように移動しているのでしょうか。

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かたつむりやサザエなどの巻貝は、軟体動物の中でも「腹足類」というグループに含まれます。文字通り、おなかの部分が接地して、「足」としての機能を果たしているのです。透明なアクリル板などにくっつけて、かたつむりの移動を裏側から観察すると、波状に黒っぽい線が動いていくのがわかります。(写真ではちょっとわかりづらいですが…)

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ミミズには、地面にひっかかる剛毛がありましたが、かたつむりには剛毛などありません。代わりに役割を果たすのが、軟体部(からだ)をおおっている粘液です。

じつは、この粘液が、あなどれません。粘液は特殊な性質を持っていて、あるときには滑りを良くしたり、あるときには粘着力を発揮したりします。それが移動のときに欠くことができない大切なものなのです。

からだと地面のあいだに粘液が入っていることで、自然に摩擦力が変化して、ある部分では摩擦が生まれ、ある部分ではすべりが良くなって、足波が自然と前進する力に変わるのです。すべすべしたり、ねばねばしたり、相矛盾するような気もして、にわかには理解しがたいところもあります。こうした性質を粘弾性と言います。ねばねばの力はなんとも不思議です。

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かたつむりは、この移動様式のおかげで、複雑な環境を自由自在に移動することができます。細いツタを伝ってさかさまになっても大丈夫。バラ科のトゲもなんのその。探してみると、高い木の上にもいたりします。


シンプルなようで奥が深い「はう」という移動様式。もしも人間がかたつむりのように縦横無尽に動くことができたなら、環境もずいぶん違うでしょうね。壁も歩けるし、天井も歩けるから、狭い土地でも広く活用できます。

鳥になって空を自由に飛びたいという人がよくいますが、意外とオススメなのは、かたつむりになることかもしれません。空中では翼が休まりませんが、かたつむりは壁や天井にくっついたまま、殻にこもって眠ることもできるんですから…。

【参考文献】岩本真裕子(2016)腹足類の這行運動に見る運動メカニズムと制御 応用数理 Vol.26(2) 14-21.

かたつむりは「はう」ことで前進します。人間も、生まれたばかりの頃は「はう」ことで移動します。人間は、最初はズリズリと腹ばいで移動するようになって、やがてハイハイで移動するようになります。そして、つかまり立ち、伝い歩きを経て、歩けるようになります。(うちの子はハイハイが遅く、順番通りではありませんでしたが……。)人間の場合、「はう」と言っても、あくまで手や足の力によってはっています。

では、手足もないかたつむりは、どうやって「はう」ことができるのでしょうか。
陸上生活をする手足がない生き物は、かたつむりのほかにもいます。代表的なのが、ヘビ、そしてミミズです。

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ヘビは、からだをウネウネとくねらせることで移動します。とは言え、ただウネウネするだけで前進できるわけではありません。試しに、自分の指を小さなヘビだと思って、ウネウネさせて前進してみましょう。きっと、指先を地面に押しつけつつ、ほかの部分を地面から浮かせないと、前進しませんよね。

基本的には、ヘビもそれと同じです。ヘビが前進するときには、からだの一部を地面にくっつけつつ、残りの部分を地面から浮かせています。からだの接地させる部分と浮かせる部分をうまく変えながら、ウネウネして前進しているのです。

はって移動するために、からだの一部を接地して固定することを、「アンカーリング」と言います。

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ミミズもヘビとは違うやり方で、アンカーリングをしながら移動しています。
ミミズのからだにはたくさんのスジがあり、体節という節に分かれています。ビーズが連なったようなイメージで捉えると、一つ一つのビーズに相当するのが、体節です。この体節が、とっても大切なんです。(※笑うところ)


ミミズは一つ一つの体節が伸び縮みしていて、縮んだ体節は太くなります。体節には小さな剛毛が生えているので、縮んで太くなった体節は地面にひっかかり、そこでしっかりアンカーリングできます。一方、伸びた体節は細長くなり、地面から浮くことになります。
伸び縮みは前から後ろへと波のように流れていき、その流れにしたがって、ミミズは前進することができます。これだとヘビのようにS字にウネウネしなくても前進できるので、土の中も移動しやすいですね。


さて、問題はかたつむり。透明なケースなどでかたつむりの裏側を見ると、かたつむりはからだ全体をピッタリと地面などにくっつけています。見た感じ、浮いている部分があるようには思えません。ヘビやミミズとは、ちょっと事情が違いそうですが、どうなのでしょうか。

 

長くなったので、また次回、かたつむりがどのように「はう」かについて、考えます。

赤ちゃんはかわいいです。

我が子となればなおさらですが、一方で人間の赤ちゃんに限らず、猫や犬、あるいはゾウやキリンでも、カメでもヘビでさえも、赤ちゃんはかわいいと感じます。

動物行動学者のコンラート・ローレンツは、1943年にベビースキーマ(Kindchenschema)という概念を提唱しました。ベビースキーマとは、人間の赤ちゃんや幼い動物のもっている、「かわいい」と感じさせる身体的な特徴です。ベビースキーマをもつものはかわいらしく、私たちはつい攻撃を控え、接近して、養育したり、保護したりしたくなってしまうというのです。

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さてここで、強烈にかわいい、赤ちゃんかたつむりのことを考えてみましょう。ベビースキーマとされる要素は、次のようなものです。

1.身体に対して大きな頭
2.前に張りだした広いおでこ
3.顔の中央よりやや下に大きな目がある
4.手足が短くて太い
5.全体に丸みがある
6.体表面がやわらかい
7.ほおがふっくらしている

赤ちゃんかたつむりには、ベビースキーマが当てはまるでしょうか。当てはまるものもあるにはありますが……、もはや「おでこはどこ?」「ほおはどこ?」「頭はどこまで?」「顔はどこまで?」というレベルです……。

さらには、一般に「気持ち悪い」とされるナメクジでさえ、赤ちゃんはかわいいのです。(ですよね?)

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しかし、かたつむりやナメクジの子が、人間からかわいく見えるように進化してもさほど意味はありません。子育てをしないナメクジやかたつむりが、彼らにとってかわいくある必要もないです。よっぽど「ナメクジの子が可愛いから駆除をやめる」という人間が続出していれば別ですが、そんな話は聞いたことがありません。
それでも、赤ちゃんはかわいいと感じてしまうなんて、生き物としてはどうにも不思議です。

うーん。人間って、変な生き物です。
(いや、そもそもナメクジまでかわいいと思うのは、私だけ……?!)

かたつむりやなめくじの体は、ぬるぬる、ねばねばの粘液でおおわれています。
彼らの体には、どうしてそのような、ぬるぬるねばねばの粘液が必要なのでしょうか。

理由は1つではありません。
ざっと思いつく、主な理由を挙げてみます。

▼体の水分が逃げないようにする
陸上に進出した貝類であるかたつむりにとって、乾燥は大敵です。
水分は、空気中に蒸発してしまうこともあれば、乾燥した地上に浸透してしまうことも
あります。粘液があることで、水分が蒸発しくいように、浸透しにくいようになります。

▼陸上を移動しやすくする
かたつむりは這う時に、粘液をうまく利用しています。そのため、這ったあとは粘液だけが
きらきらと残されます。
かたつむりの這い歩くメカニズムは、それだけで論文が書けてしまうほど謎めいています。
いずれにせよ、地上をすべるように移動できるのも、壁や葉っぱの裏側などにもぴったり
くっついて移動できるのも、ぬるぬるねばねばした粘液の性質のおかげなんです。

▼外敵などから逃げる
外敵におそわれたときなどには、多量に粘液を分泌します。
このため、なめくじをピンセットなどの道具でつまもうとしても、つるつるすべってしまい
ます。

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くっつけたり、すべらせたり、それ自体ふしぎな性質がある粘液。
粘液には酵素なども含まれていて、傷を修復したり、雑菌から身を守ったり、汚れを
つきにくくしたり、上で紹介した以外にもさまざまな役割があると考えられています。
けれど、こうした粘液の機能は、人間にとってもなじみのあるものです。
目や鼻などを乾燥から守ったり、異物が入らないようにしているのも、粘液です。
口や消化管の内側も、粘液でおおわれています。粘液がなければ、胃は自分の胃酸で
溶けてしまいます。

もっとも、人間は歩くときに粘液は不要です。
そしてもうひとつ、かたつむりならではの、粘液の大事な役割があります。
それは、殻のフタとしての役割です。

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かたつむりは休眠するとき、殻の出入り口に粘液の膜を張ります。
この粘液は、水分が蒸発するとエピフラムと呼ばれる白い薄膜に変化します。
このエピフラムが、殻のフタになるのです。
(エビフライではありませんよ。エピフラムです)
このエピフラムには接着力があるので、壁や木の枝、葉の裏などにくっついたまま、
休眠することができます。
冬眠など、長期の休眠の際には、さらに何層もエピフラムを張って、乾燥から身を
守ります。

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さらに言えば、かたつむりの粘液の機能は、人間生活にも応用されています。
エピフラムは強い接着力のある一方、水に濡れるとすぐにやわらかくなり、
きれいにはがせます。この特徴を生かした接着剤が開発されているそう。
また、かたつむりの粘液を使った化粧品もあるというから驚きです。
(効果のほどは定かではありませんが、保湿力はありそうです)

ぬるぬるねばねばは、かたつむりやなめくじが嫌われてしまう理由の1つでも
ありますが、かたつむりにとっては生死に直結する大事なものです。
その点、どうかご理解いただければと、かたつむりを代理して、お願い申し上げます。

2歳の息子は、親しい人との別れ際に「バイバイ」ではなく「タッチ」をしたがります。
触れるということに何か特別な価値があると、子どもなりに感じているのかもしれません。

かたつむりにとっても、触れるというのは重要な行為です。
周辺環境についての情報を、おもにツノ(触角)で触れることで得るからです。
ツノの役割は、凹凸などの触覚を感じるというだけではありません。
「見る」「味わう」などのさまざまな感覚もまた、ツノで触れることで得ています。
かたつむりにとってツノは、ヒトにとっての手足であり、目であり、鼻であり、口でもあるのです。

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かたつむりのツノは、頭部にある大きな2本と、口元にある小さな2本の、計4本。
それらのツノをくねくね動かすことで、障害物や食べ物をはじめ、身の回りのいろいろな
情報を得ています。

ツノの代表的な機能は、周囲に触れて、身の回りの物理的な形状を知ること。
私たちが暗闇を手さぐりで歩くように、ツノをくねくねと動かすことで、障害物を発見し、
歩きやすいルートを探ることができるのです。
そして、ツノは嗅覚や味覚の感覚器でもあります。

おもに口元の2本のツノで、匂いを感じたり、触れて味わったりします。
さらに、頭部の大きな2本のツノには、先端に「眼点」と呼ばれる感覚器があります。
「眼点」はヒトで言う眼に相当する感覚器ですが、ヒトの目のように、身の回りの状況を
ぱっとつかめるようなものではありません。おそらく明るさの強弱がわかる程度。
私たちが目で見て世界を知るように、かたつむりはきっと、ツノで触れることで世界を
知ります。

さまざまな感覚器のついたツノを、くねくねと動かして世界に触れることで、かたつむりは
身の回りの世界を描いているのです。
ちなみに、かたつむりには人間の耳に相当する聴覚の器官がありません。
とは言え、もしかすると「肌感覚」で、空気の振動も多少は感じることができるのかも
しれません。

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私たちは主に目で見るということを通して、世界を描いています。
けれど、触れるという行為は、人間にとってもまた重要です。
きっと私がかたつむりを好きになった理由のひとつは、幼いころにかたつむりに触れて
遊んだからです。
私たち人は、心が発達した生きものです。同時に、心と体は分かちがたいほどに
結びついています。感情で表情が変化することはもちろん、緊張すると手に汗をかいたり、
嘘をつくときに無意識のうちに口元を手で隠していたり、心の動きと体の動きはいつも
共鳴し合っています。

そして、大事な人に手を握ってもらうと安心するように、体の感覚を通して、心も動きます。
つまり、私たちにとって体に触れるということは、同時に心に触れることでもあると思うのです。
触れるということは、もしかすると、感覚のまったく異なるかたつむりと人間が互いに心を
通わせられる(ほぼ唯一の)貴重な手段なのかもしれません。

※ちなみに、かたつむりに毒などはありませんが、広東住血線虫という海外から
来た危険な寄生虫がいるおそれがあります。触れた後には手洗いをしましょう。

かたつむりが好きな私は、よく「おっとりしてる」などと言われます。
それは、かたつむりと私の共通点のひとつです。
私がかたつむりに似てきたのかもしれませんし、そんな私だから、
かたつむりを好きでいるのかもしれません。

かたつむりの時間感覚って、どうなっているのでしょう。
確かに、かたつむりはゆっくりと動くもの。
スローライフの象徴のような存在です。
かたつむりの時間感覚は、やっぱりゆっくりしているのでしょうか。

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時間感覚に関係があると考えられるのが、生き物それぞれの「時間分解能力」です。

たとえば、私たちが日常的に使っている蛍光灯の光。
蛍光灯は実際には高速で点滅していますが、それを点滅していると
感じることはありません。 これは、蛍光灯の光の点滅のスピードが
あまりに早すぎて、人間の 時間分解能を上回っているから。
一方、蛍光灯の点滅のスピードをゆっくりにしていくと、
だんだんちらちらする点滅が気になるはずです。
点滅するスピードが人間の時間分解能力より小さいと、
点滅が気になってしまうのです。

時間分解能は、生物種によって異なります。
ユクスキュル(1864ー1944)というドイツの生物学者の実験によれば、
かたつむりは1秒間に4回の振動までは感じとることができるけれど、
それ以上に細かい振動になると、振動を感じることができないそうです。
一方、たとえばミツバチは、人間よりも5倍ほど高い時間分解能力を
持っているとされています。
人間にはわからない細かい翅の動きなども、感じ取れるのかもしれません。

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時間分解能力が高い生き物ほど、周囲のものの動きをゆっくりと
感じられ、時間分解能力が低い生き物ほど、周囲のものの動きが
早く感じられるということが想像できます。
たとえば、時間分解能が低い生き物では、周囲のものが素早く
動いているように感じるというわけ。
ハエを叩こうとしてもすぐに逃げられてしまうのは、
ハエの時間分解能力が人間よりとても高いから。

もしこれが正しければ、かたつむりは周囲のものに対して
「ずいぶん速く動くなぁ」と感じているかもしれません。

とはいえ、人間がほかの生きものになることはできないので、
想像でしかありません。

かたつむりも急ぐことがあります。
危険を感じたときなどは、すばやく引っ込むのみならず、
移動が速くなることもあります。
そんなときは、自分がゆっくりだなんて、ちっとも思って
いないでしょう。
「あー、あせったー! 急いだから、ギリギリセーフだった!」
なんて瞬間もあるかもしれません。

きっと人間だって一人ひとり一人時間感覚が違いますし、
あるいは一人の人間でも状況によって、時間感覚が異なります。

私はきっと、人間の中ではゆっくりな方です。
そして、私自身も、慌てることもあるし、のんびり過ごすこともあります。
楽しい時間はあっという間に過ぎるし、苦痛なことはいつまでたっても
時間が過ぎないように感じます。

多様な生き物たちが、多様な人たちが、それぞれの異なる時間を感じながら、
今の瞬間を重ねている。
そう思うと、人との出会いも、生き物との出合いも大切にしたいなぁと思います。

かたつむりの面白い特徴のひとつは、そのフンにあります。
飼育したことのある方ならきっとご存知かと思いますが、かたつむりは、
赤いトマトを食べれば赤いフンを、緑のホウレンソウを食べれば、緑色の
フンをします。
かたつむりは植物の色素を分解できないので、食べたものの色がそのまま
フンの色になるのです。

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一方、人間には、植物の色素は分解できるものでしょうか。
乳幼児が家にいると、うんちをじっくり目にすることがよくあります。
おむつ替えのとき、2才の息子にうんちの色を質問すると答えてくれます。
「えーっとねぇ……、ちょっとちゃいろで、ちょっとあかいろ!」 そして、
「あかいろはー、えーっとねぇ、にんじん!」
などと元気に教えてくれたりもします。 うんちに食べものの色が反映されるの
だから、かたつむり同様、人間も色素が分解できないのでしょうか。

いや、そんな実感に反して、人間は植物の色素を消化、吸収できます。
ただし、多くの色素は消化され、吸収されるか、尿として排出されますが、
一部は消化しきれずに残ります。まして乳幼児であれば消化管も未熟ですから、
色素どころか、食べたものがそのまま出てきたりもするのです。
だから、幼児のうんちには、食べたものの色が反映されるのでしょう。
出てくるものに、食べた物の色が反映される。
乳幼児とかたつむりの、ちょっとかわいい共通点だと思うのは、私だけでしょうか。

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ところで、かたつむりは色素を分解できない一方、植物の繊維(セルロース)は
消化して栄養にしています。本来、セルロースという成分は炭水化物に当たり、
エネルギーのかたまりです。しかし、人間は繊維まで消化することはできません。
かたつむりはセルラーゼというセルロースを分解する酵素を作ることができるので、
植物の葉っぱばかり食べていても、エネルギーが効率よく吸収できるのです。
かたつむりは植物ばかり食べて健康的な食生活に見えるかもしれませんが、
案外、炭水化物をたっぷりとっているのです。
米ばかり、パンばかり、麺ばかり食べている誰かと、案外似たようなものかもしれ
ません。

ちなみに、かたつむりのフンにはもう1つ、おもしろい特徴があります。
いつもフンがきれいに折りたたまれているのです。
手足のないかたつむりがどうやって折りたたんでいるのか、考えてみると
不思議ではありませんか。機会があればぜひ、観察してみてください。

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かたつむりは多様です。
何せ日本だけで800種ものかたつむりがいるのです。
軟らかい体があって、ツノがあって、殻がある。
基本的なかたつむりの構成要素はみんな同じです。

そのなかに、殻の直径が5センチほどの大きなかたつむりもいれば、
おとなでも2ミリほどの小さなかたつむりもいます。
角ばった殻もあれば、とんがった殻もあります。
毛の生えた殻もあれば、殻の退化したなめくじだっています。

種ごとの違いだけではありません。
同じツクシマイマイという1種のかたつむりでも、個体ごとに違いがあります。

たとえば殻。
さまざまに異なる「色帯」と呼ばれる模様があります。
明るい白色の殻をもつものもいれば、殻全体が色濃く見えるものもいます。
みんな同じかたつむりなのに、少しずつ違うのです。

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生きものの多様性。 それは本来、グラデーションです。
本当は境界のない虹の色を、赤、橙、黄、緑、水色、青、紫の7色と
みなすように、種と種の違いは、それぞれ誰かが名前を付けたというだけ。
同じ黄色に無数の黄色があるように、種の内側にも、ときには種と種のあいだにも、
たくさんのバリエーションがあるのです。
そう思うと、生きものの多様さが、また違って見えてきます。

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最近は「多様性の時代」なんてことが言われています。
あまのじゃくな私は、多様性を強調されると、共通性も大切にしたくなります。
多様さを強調すればするほど、ヒトとかたつむりではなんだか天と地ほどに
かけ離れているように思えてしまいます。

でも、40億年もの途方もない時間をかけて多様化した生物は、どんなに離れた
種であっても、共通の祖先がいます。必ずどこかに、共通性があるのです。
共通性もまた、多様性と同じくらい、素敵なものではないでしょうか。
私たちはみんな、どこかで同じ要素を共有し、今を生きている生命体なのです。

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同じだけど、違う。
違うけれど、同じ。 「ヒトとかたつむりにも、意外と同じところがあるのでは?」
そんな想いを抱きながら、すぐそばにいる異なる相手のことを、もっともっと知りたい
と感じてしまう私です。

私はかたつむりが好きなので、下を向いて歩くことが多いです。
(いや、下を向いて歩くことが多いから、かたつむりが好きになったのかも?)
一般に、何か嫌なことがあると、ヒトはうつむいて歩く傾向にあります。
そういうネガティブな気分の時に、好きな生き物を見つけて気持ちが穏やかに
なれるって、なかなか良いことだなと思います。

一方、たとえば鳥が好きな人は、もしかすると上を向いて歩く方が多いのかも
しれません。
嫌なことがあったときも、大好きな鳥を見たいがために顔を上げられると考えれば、
それもそれで悪くないですね。

ヒトはそれぞれ、見ているものも、歩くペースも、目の高さも、興味の方向性も
違います。
そんな違いがあることが、いいなと思います。

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タイプの異なるヒトといっしょに歩くと、それまでまったく気づかなかった存在
と出会います。
いっしょに歩くヒトが何かの専門家であれば、新たな発見だらけになることは
明らかですが、特に専門家でなくとも、ただ視点が違うヒトといっしょに歩く
というだけで、いつも何か新たな発見があります。

象徴的なのが、子どもと歩くとき。
ウチの子は2才半。ちょこまかと歩き回ります。

最近の生活で特に気づくのは、身の回りにいかに水たまりが多いかということ。
水たまりがあると、ためらいなく入る息子。長靴をはいているかどうかなんて、
関係ありません。というか、長靴をはいていても、中まで水が入り込むほど、
ビチャビチャと遊びます。

それから、小さな穴や隙間の存在にも敏感です。
狭くてとても通れないところも通れるかどうか確かめずには気が済まないし、
地面の穴には、石ころを落とさずには気が済みません。

私よりも早く、カエルの卵塊の存在に気づいたこともあります。

たとえ同じ個人でも、子どものころと今とでは、見ている世界が変わります。
感情の状態でも変わります。かなしいとき、うれしいとき、たのしいとき、
ねむいとき、それぞれ見える世界は変わります。

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同じヒトでこれだけ違うのだから、種が異なる生き物の世界はもっと多様です。
見える広さも、視力も、色も、私たちヒトには想像できないほど多様です。
そもそもコウモリのように視力に頼らない生き物もいます。
いったいどんな風に世界が見えているのでしょう。

のんびりで、人見知りな私は、きっと見過ごしているものもたくさんあります。
さまざまな人と歩くこと、そしてさまざまな生き物のことを知り、想像することが、
私の世界を広げてくれます。
いろんな見方に気づき、大切にできるように、生きていたいものです。 

子どものころ、テレビで初めて映像を観て衝撃的だったのが、
ロイコクロリディウムという寄生虫。

ロイコクロリディウムは、オカモノアラガイというかたつむりの仲間を
中間宿主(一時的に寄生される生物)とする寄生虫の一種。
寄生したかたつむりの行動をコントロールすることで知られています。

ロイコクロリディウムは、かたつむりの体内に侵入すると
長い2本の触角のうちの1本に入り込みます。
寄生された触角は太くなり、特徴的なしま模様が現れます。
本来かたつむりは薄暗いところを好むのですが、
ロイコクロリディウムに寄生されたかたつむりは違います。
ロイコクロリディウムがかたつむりの行動をコントロールして、
明るい目立つところへと誘導するのです。

ロイコクロリディウムに寄生されたかたつむりの触角は、まるでイモムシ。
明るい目立つところにいるものだから、天敵である鳥にたちまち食べられてしまいます。
ロイコクロリディウムは、それがねらいです。
かたつむりを鳥に食べさせることで、自身が鳥の体内に侵入するのです。
鳥の体内で、やがて成長したロイコクロリディウムが産卵をします。
卵は鳥の糞に紛れて地上に落ち、やがてかたつむりに食べられます。

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寄生されたかたつむりの外見の奇妙さもさることながら、
宿主(寄生された生物)の行動をコントロールするというのが、なんとも不気味な話。
かたつむり好きな子ども時代の私には、あまりに衝撃的な映像でした。

かたつむりは単純な生きものだから、
そんなふうに寄生虫がコントロールできるんだと思う方もいるかもしれません。
けれど、ヒトも無縁な話ではありません。

ロイコクロリディウムがヒトに寄生することはありませんが、
たとえばメジナ虫という現在もアフリカの一部に生息する寄生虫は、
川の水を飲んだヒトの体内に侵入します。
体内でメジナ虫が成長すると、やがてヒトは足に激痛と熱の感覚を覚えます。
その感覚から、足を水につけたいと思うようになるそうです。
その結果、実際に足を水につけてしまうと、メジナ虫が幼虫を水中に放出するというわけ。
また、トキソプラズマという寄生虫は、ネズミに寄生すると、ネズミを無気力にしたり、
猫のにおいを好むようにするなど、猫に食べられやすいようにネズミをコントロールします。
ヒトもトキソプラズマが寄生してしまうことがあるため、同じ哺乳類であるネズミ同様、
行動になんらかの影響を受けているという話があります。
じつは寄生虫が他の生物の行動をコントロールする手法は、
まだまだわかっていないことが多いのです。

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もし私たちヒトの行動を、自分に都合の良いようにコントロールできる生きものがいるとしたら、
なんとも不気味です。

あれ?
でも、よく考えてみると、私たちも他人や他の生きものに対して、
そんなことしていないでしょうか。
自分の都合の良いように、誰かの行動をコントロールなんて…そんなこと…
しようとしたことは…えーっと…。

ちょっと2、3日、我が身をふりかえってきます。

我が家には2歳の息子がいます。
2歳になると、その子の性格というのがおぼろげながら見えてきます。
なんでも自分でやりたがったり、絵本が好きだったり、
冗談をよく言ったり、料理が好きだったり…。

大人になると小さな頃のことなんて覚えていませんが、
それでもきっと、心の中心部分はこのくらいのころにできているんだろうなぁと思います。

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かたつむりの殻は、ぐるぐるうずまきです。

かたつむりは卵から孵化した直後は1巻き半の小さな貝殻を背負っています。
この貝殻は、かたつむりの成長とともに大きくなります。
付加成長と言って、殻の出口が少しずつ継ぎ足され、2巻き、3巻き、4巻き…と、
だんだん巻き数が増えていくのです。

つまり、殻の中心はずっと孵化直後の子ども時代のまま。
これってなんだか、人の心の成長に似ていませんか。

また、殻の成長は出口が継ぎ足されるだけではありません。殻の厚みも継ぎ足されます。
孵化直後のかたつむりは、とても薄い殻しかもっておらず、簡単に壊れてしまいます。
けれど、大きく成長するにつれて、分厚く頑丈な殻になるのです。

これも心と似ています。
傷つきやすかった子どものころに比べ、大人になると多かれ少なかれ、図太くなりますよね。

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もし人の心を目で見ることができるなら、
それはきっと「うずまき状」なんじゃないかと思います。
かたつむりの殻と人の心が違うのは、
かたつむりの殻は自分一人の力で合成し、修復するのに対して、
心は他者の心に触れて成長し、他者の心に触れて修復するところなのかもしれません。

ちなみに、かたつむりの殻は何らかの衝撃でヒビが入ったり、割れたりしても、
多少のことなら修復できます。
まったく元通りとはいきませんが、独特のあじわいのある殻になっていきます。

人には、かたつむりとの相性とでも言うべきものがあるような気がします。
今回は私の独断と偏見に基づき、かたつむりとの相性が良い人のポイントを
3点にまとめてみます。

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1つ目は、待つ力。
かたつむりは、動きがゆっくりです。
長いあいだ殻に引っ込んでしまうこともあります。
何か観察したい行動があっても、早く姿を見たいとか、早く動いてほしいなどと
思って無理に急かすと、むしろ逆に殻に引っ込んでしまいます。
興味を持った対象をじっくり待って観察できるという人は、
かたつむりを見ていても飽きることはないはずです。

2つ目は、雨を楽しむ才能。
雨の日は、外で遊びづらくなります。
ですが、たとえば子どもは、水たまりをチャプチャプしたり、
雨の音を楽しんだりするのが大好きです。
子ども時代に雨の日を楽しいと思えた人は、
かたつむりと出会う機会も多かったのではないでしょうか。

3つ目は、小さなもの、弱いものへの関心。
かたつむりは、ゾウのように大きくも、ライオンのように強くもありません。
軟らかい身体はもちろん、殻だって人の手で簡単に壊せるくらいの薄いもの。
多くの動物の餌になってしまう小さく弱い生きものです。
そのような小さなもの、弱いものに関心を持てる人は、
かたつむりとの相性もさぞ良いことでしょう。


「待つ力」「雨を楽しむ才能」「小さなもの、弱いものへの関心」
こう考えると、かたつむりと相性が良い人って、
なんだかおとなしい人なんじゃないかと感じます。

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ところで、民俗学者の柳田国男は「でんでんむし」「まいまい」のような
かたつむりを表す方言がかつて多様だったことを明らかにしています。
柳田は「デェラボッチャ」「マイマイドン」「カッタナムリ」「ツングラメ」
「イヘカエル」「ゼンマイ」など、全国各地のかたつむりの呼び名を
240種類以上も収集しました。
そして、これほど方言が多様化した理由を「童児の力」だと言っています。
子どもたちが「つのだせ、やりだせ」のようなわらべ唄を通して、
かたつむりと遊びながら呼び名を多様化させたと言うのです。

つまり、かたつむりともっとも相性が良いのは、どうやら子ども。

そう考えると、上に挙げた3点も「おとなしい」というより、
むしろ本来は「こどもしい」(?)性質なのかもしれません。

【参考文献】柳田国男『蝸牛考』岩波文庫

カタツムリやコウモリ、ナメクジなど、なんだか暗いジメジメしたところにいる
生きものばかり好きな私ですが、例外もいくつかあります。

その1つが、コアオハナムグリ。
10円切手の図柄にもなったことのある、身近でありふれた、おなじみの昆虫です。
このコアオハナムグリのことが、私は大好きです。
ざっくり言えば、毛むくじゃらさ、つかまえやすさ、もぞもぞ感、という3点が大好きなポイントです。

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1.毛むくじゃらさ
子熊のような毛むくじゃらさが、とってもかわいいポイントの1つ。
ハナムグリは漢字で書くと「花潜」で、その名の通り、もぞもぞと花に潜って花粉や
花の蜜を食べます。ノアザミやハルジオン、タンポポはじめ、さまざま花に訪れます。
毛むくじゃらな身体に花粉をまとって、ポリネーター(花粉の運び屋)の役割も果たしています。
毛むくじゃらなところには、かわいさだけじゃなく、生きものとしての機能が隠されているのです。

2.つかまえやすさ
子どものころ、コアオハナムグリを見かけるたび、よく捕まえていました。
あまり人を警戒しないので、手づかみで簡単に捕まえられます。
ハナムグリ類は上翅を開かずに下翅だけを広げて飛べるという特性があるので、
多くのコガネムシよりも素早く飛び立てるはずなのですが、なぜだか飛んで逃げるということは
あまりありません。どちらかと言えば、脚を縮めてコロリと転げ落ちて逃げていきます。

3.もぞもぞ感
なんといっても、コアオハナムグリの醍醐味はこれです。
コアオハナムグリをつかまえると、もれなくもぞもぞ感が味わえます。
手のひらに乗せると、手指の隙間をグリグリと潜り込もうとするのです。
このもぞもぞした感触がたまらなく良いのです。

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コアオハナムグリ。
見かけたときはぜひ「もぞもぞ感」を味わってみてください。

掃除機をかけていると、かたつむりを思い出します。

掃除機をかけるときは、ヘッドを左右に振りながら、床全体をまんべんなく網羅して、
少しずつ移動します。これと同じことを、かたつむりは採食行動でやっています。
その証拠が、ガードレール表面に残された、この食べあと!

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よーくみるとジグザグに食べているのがわかります。
ガードレール表面にはクロレラなど藻類がたくさん生えています。
かたつむりはこの藻類をむしゃむしゃと食べて、栄養にしています。
そのとき、エネルギーを摂るために食べているのに、移動にエネルギーを
使ってしまっては効率が悪すぎます。

そこで、移動をできるだけ少なく、頭を振って効率よくごはんを食べようとするの
です。 掃除機と違うのは、何も全体をすべて網羅しなくてもいいということ。
そのため、ときどきおもしろい食べあとに出合います。

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たとえば、まるーく描いて食べたり。 からだをクルリと回転させながら食べたの
でしょうか。
もしかしたら、何らかのメッセージを伝えた「かたつむり文字」なのかもしれない…。
そんな妄想をしながら、食べあとを見るのもまた楽しいです。
注意してみると、ガードレールや看板など、いたるところにかたつむりやなめくじの
食べあとがあることがわかりますよ。

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「かたつむりとなめくじって、どう違うの?」

人からよく聞かれる質問の1つです。
簡単に答えるとすれば、かたつむりもなめくじも同じ仲間で、単に
殻をもっているかいないかの違いです。
ただ、詳しく説明するとなると、事情は複雑です。

そもそも「かたつむり」自体、生物学的な定義のある言葉ではありません。
軟体動物(貝のなかま)のうち、陸上に棲むものを「かたつむり」と
呼ぶことが多いのですが、それだけだとあまりに広すぎると「柄眼目」という
一定の分類群だけを「かたつむり」と呼ぶという人もいます。

ただし、これらの定義にも問題があります。
これらの定義だと、「なめくじ」も「かたつむり」に含まれてしまうのです。
一般的に「なめくじ」は「かたつむり」に含まれませんが、生物の系統としては
「なめくじ」は「かたつむり」の仲間の一部であり、さらに「かたつむり」の
仲間のたくさんの枝分かれのうち、いくつかバラバラに「なめくじ」の仲間が
いるのです。

「うーん、ややこしい! よくわからん!」

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まぁ、そうですよね。
つまりは、かたつむりの長い進化の歴史の中で、一度だけでなく、
何度か貝殻をなくす方向への変化が起きているということ。

このように貝殻をなくすという進化は、実は貝類としては珍しいことでは
ありません。専門的には「ナメクジ化」と呼ぶ、しばしば起こる現象です。
例えば、イカやタコはオウム貝の仲間がナメクジ化した生物。同様に、
アメフラシやウミウシ、クリオネも巻き貝の仲間がナメクジ化した生物です。

「ナメクジ化」にはいくつかのメリットがあります。
貝殻が不要なので、カルシウムの摂取量が少なく済み、さらに身体が
軽くなります。つまり、省エネ、低コスト。大きな殻は移動の障害にも
なりがちですが、ナメクジ化すると狭い隙間にも入り込めるようになります。

かたつむりにとっては大事な殻も、思い切ってなくしてしまうことで
大きなメリットがあるなんて、生き物って不思議です。

もしかしたら人も、ナメクジ化すると何かメリットがあるのかもしれません。
ん? 人にとっての「殻」って、いったいなんでしょう。
家? お金? 肩書き? それとも…?

かたつむり大好きな私ですが、
私の学生時代の研究対象はかたつむりではなく、コウモリでした。
コウモリもまた、私の世界観を変えた生きものです。

コウモリは言わずと知れた夜行性の動物。
奥深い森林にも大都会にも、それぞれの環境に適応した種類が生息しています。

私が6歳頃まで住んでいたのは東京の住宅地。
夕方になると、どこからともなく現れて空を舞う、アブラコウモリというコウモリがいました。
主食である虫と間違えて近づいてくるので、小さな石を空に投げて遊んだことを覚えています。

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コウモリの魅力は、ヒトとは対照的な生活スタイルにあります。

▼昼間に寝て、夜に活動する
コウモリはヒトに気づかれにくい生きものです。
夕方から飛び始めるので薄暗い時間帯なら目に見えるのですが、
生きものに興味が無いと「ただの鳥」と思ってしまうかもしれません。

▼地上を歩かず、空を飛ぶ
ヒトは地上を歩く生きもの。
両眼を使って立体視のできる生きものではありますが、移動はあくまで平面的。
コウモリは翼を使って空を飛べるため、空間的な移動が可能です。
一方、地上を歩くのがとても苦手です。

▼目よりも耳で「見る」
ヒトは視覚に頼った生きもの。
一方コウモリは、視覚はあまり使っていません。
鼻と口からヒトの耳には聞こえない超音波を発して、反響した超音波を耳で知覚して、
周囲の環境を知覚するのです。

▼休むときはさかさま
コウモリは空を飛ぶため、体重が軽くなるように進化しています。
骨は細く、ヒザの関節はヒトとは逆向きになっていて、立ち上がることはできません。
あしの爪が発達しているので、壁などに爪を引っ掛けて、ぶら下がって休むのです。

▼でも、ヒトにけっこう近い
ヒトとは対照的な生活スタイルの一方で、近い部分もたくさんあります。
何より、ヒトと同じ哺乳類であることが大きいです。
鳥類とは異なり、赤ちゃんを産んで、母乳で育てます。
翼は羽根ではなく、よく見るとヒトと同じ5本指であることがわかります。

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さらに、アブラコウモリという市街地に適応したコウモリは、
人工建造物をねぐらとして利用します。
ヒトの暮らしと密接に関わっている生きものなのです。

<見えづらい夜空に、超音波を交わしながら暮らしている生命が、私たちのすぐそばにいる>
それがわかると、自分の見知っている世界が、世界のほんの一部に過ぎないんだと実感します。
同じ世界を共有する生きものは、きっとまだまだたくさんいるということも感じます。


私は物心ついた頃には、かたつむりが大好きで、今でも「かたつむり見習い」を名乗るほど。
「どうしてかたつむりが好きなの?」と聞かれることがよくあります。

以前は「それはこうこうこういうわけで」と理由を説明していたのですが、説明したあとでやっぱり違ったかも…と後悔するばかり。
最近ではもう「理由はわからないんです」と、素直に答えるようにしています。

どうして好きなのかはともかく、かたつむりが魅力的なおもしろい生物であることは確かです。

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何より、かたつむりのことを知ると、世界が違って見えてきます。

かたつむりは目の良い生きものではありません。
皮膚感覚で環境情報の多くを知覚し、大きなツノ2本と、小さなツノ2本で触れて、光を感じて、匂いや味を感じます。
時間感覚も、人よりずっとゆっくり。
オスとメスの区別はなく、雌雄同体の生きもの。

人とはあまりに違う生きもの。
彼らはどんなふうにこの世界を見て、感じているのでしょうか。

かたつむりを見ていると、ついついそんなことを考え始めてしまいます。


かたつむりは日本におよそ800種というほど、たくさんの種類がいます。
ご存知の通り、ゆっくりと這って歩むことしかできないため、ちょっとした小川も越えることができません。
そのため、集団が分断されやすく、多様な種類に分かれやすいと考えられています。

小川も越えられないくらいなので、人の暮らしに影響を受けやすいことも確かです。
たとえば、道路。
横断歩道で信号が青になるのを確認して進むなんてことはもちろんできないですし、車の往来に気づいて引き返すことさえもできません。
もっとも、信号が青になるのがわかったとしても、赤になる前に渡りきれるとは思えませんが……。


自分の知っているつもりの世界に、自分とは違う見方があるということを、私たちはしばしば忘れがちです。
でも、かたつむりの見え方を想像すると、世界の見え方が1つではないと思い出します。

好きな生きものがいると、世界が豊かになるように思います。